昭和18年12月 もう一週間ほどで年が新たまろうかと言う時
眠入りばなに 火事が起きた。  

若い夫婦が天ぷらを揚げていて失火 手に負えなくてその場から
何も言わずに逃げ去った。
灯火管制で人々の家の窓は被われて気が付くのが遅れた。

えぞをは 母に「勉強道具を持ちなさい」と言われた。
配給の切符で当たったばかりの靴が見つからず やむなく裸足で
母が投げた蒲団の上、一階の小屋根へ飛び降り 次に下へ飛んだ。

母に言われて 13才のえぞをは 雪道を祖母の家まで裸足で
500メートルほど歩き凍傷になった。

その事をあらためて聞いたのは、断捨離の一環で 以下の書類が出て来たからだ。

   源一記録4

   源一記録1

   源一記録3

   源一記録2

   源一記録5

各家の2階からは、煙に巻かれる寸前まで 荷物が階下へ投げられ 
受け止めた人が集めてくれた。その中の三分の一は火事場泥棒に
持ち去られた。

奇跡のようにこの書き物が残った。 多分机の引き出しを上から落とし
その中に入っていたのだろうと えぞをは推測する。
書類はこの他にも数枚有る。

源一とは えぞをの父で 彼は思いを残し36才で亡くなった。
したがって六花は会ったことが無い。

娘が捨てないでと言うので このまま置く。
 2015_10_19




和田崇氏 市立小樽文学館 館長 玉川薫氏から メールを頂いた。

メールは削除してしまうので こちらに要点だけ転記させて頂く。

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和田崇氏から
小樽文学館にとっても貴重な資料となり無名の地方大学の研究者でも
文化の継承に役立つことが出来てよかったです。

浅井花子さんの研究も地道に続けている・・ rikka //ありがとうございます。

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市立小樽文学館館長 玉川薫氏

広報誌も 北海道ゆかりの深い俳句作家の短冊も大変貴重と
保管のお約束を頂きました。

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先ほども書きましたように メールはやがて削除してしまいます。
それで お二人への返信は 失礼なのは重々承知の上で この欄に書かせて頂きます。

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市立小樽文学館館長  玉川薫様

思いがけない和田崇さまとの接点で 文学館と繫がることが出来ました。
そうでなければ 夫はいつも 「捨てて」と言っていますので 無かったと思います。
保存に値するとのご判断はとても嬉しいことでした。

新人賞の楯は 齋藤玄氏の短冊と抱き合わせと思い同梱しました。
不要でしたら お捨て下さい。

その時の新人賞で頂いた えぞをの俳句は

       弾む雀へ空が胸貸す若い冬    えぞを

なお ブログ2012年11月17日  カテゴリ 「土曜俳句」にすでに書いて有ります
そこへ出て来ます 「ひるがほ」が ありましたので 同梱いたします。

鈴木旋花亭の果たした役割の大きさを思います。
もし死ななかったら その後の小樽の俳句会を牽引していたと
これは 私感にすぎませんが・・

ひるがお1

ひるがお2

どうぞ寒さに向かう折 お体に気を付けられて ご活躍下さいませ。
 2015_10_15




小樽の資料館様

こんな俳句短冊もありました。

齋藤玄

齋藤玄  一枚しか無いのではと思います。
  
あかしや150号 記念俳句大会に於いてえぞをが 新人賞を受賞
楯は札幌市教育委員会より 副賞にこの短冊が添えられていたそうです。

友二

石塚友二 土岐蓮太郎 の短冊は句会が終わった後で頂いた物だそうです。
たくさん有るようでしたら  処分してしまいます。

えぞをの短冊写真は 紛失する前に記録として載せて置きます。

えぞを1

えぞを2

えぞを3

えぞを4

えぞを5

こうして見ていると それぞれの句に息が吹き込まれているのは
文字からだと気が付きます。

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10/22日から文化祭が始まります。 以前の画面をリホームしました。
レタリングはえぞをです。

押し花



 
 2015_10_14






今日で 断捨離の広報誌からの転記は終了する。

昭和31年から 37年1月までのわずかな寿命の広報誌だったが
廃刊になった頃から 社の命運はゆっくりと負のスパイラルへ
巻き込まれて行ったように思える。
いずれにせよ歴史が教えてくれることで その頃、誰も気付いていたわけではない。

     オタモイ 昭和35年 初夏

     オタモイ

     昭和36年 12月 小樽は坂の町で有名だが、豪雪地帯でもある。

     S36冬


     37ねん1月号をもって廃刊となる。終号の表紙写真 
     昭和36年秋・・毛無山と思う・・えぞをの記憶曖昧

   毛無山?


      **********************

広報誌、廃刊の2年ほど前から えぞをは俳句を載せなくなり・・
詩が毎号載っている。それらはまとめて「約束」という詩集になったので
転記しないことにする。

今回は 昭和28年 まだ療養中の俳句・・えぞを23才の俳句ノートから
9月~10月を掲載する。

       ベランダに誰何せらるる夜の秋

       一樹もて夕月崖の宙に留む

       こほろぎの剣燦と吾が誕生日

       女と生れある夜菊香に思ひつむ

       睡しや療友大都雪降る薄明に

     *************************** **えぞを

    ------------------- 六花記

終わりなので、その後の六花とえぞをのことに・・

まだえぞをが入院中 大学いもが好きだと六花が話したらしい。
えぞをは退院後 大学いもを持って見舞ってくれた。
その頃は花園町の店頭で作りながら販売していた。

六花は 外出中で Ⅰ時間ほど待つも 諦めて帰ったと言うことだった。
病室のみなさんで分け合って食べた。今のように携帯も無い 住所も知らない
だから礼状も出さなかった。
その頃同室だった方は みんな逝ってしまった。

六花はその後間もなく 痰から結核菌が検出されて その後の療養期間も
長期に亘ると予想され やむなく実家の近くの病院へ転院した。

えぞをは後日 その顛末を俳句仲間から聞いた。
「六花さんは 泣きながら小樽を後にした」と。昭和35年春のこと。

 えぞをとは無縁の人で終わった。
 2015_10_12





月一回の定期検診で えぞをと息子と嫁とで 出かけた。
食事をしないで検査を受けるので おむすびを持っていった。
帰ったら ヒレカツ作っておくね・・と言うと えぞをがにっこりしていた。

*********** 

   天人峡・・銀河の滝  昭和35年夏 撮影 

   銀河の滝


         「北の旅」から     えぞを

     永遠にピリオドの無い空から さしのべられた左手・・     
     それら水の精よ
     まだにがい岩床に沿うて流れを織る
     
     それら水の精よ
     地上の願いは ひそかに人を愛すこと
     ふかく眠りて目覚め聡きこと
     滝のほとりに墓建つること

     天はふかく
     人たちがいつかは登って行く階段(きざはし)
     えぞ松は爪ふかく立ち
     深山ゆりは露をちりばめ

     知られざる創造のひみつ
     地上はまだおさなく
     人たちは滝のほとりで
     そのはるかな河口で働いている


   小樽・奥沢・・水源地   昭和35年春 撮影

   奥沢水源地


       雨の挨拶     えぞを

     つぶつぶの雨音を
     蜜蜂の羽うちのように聞いて
     靴みがきが手を休める
     あなたは濡れたレースで
     表通りをやってくる

     あなたはまだ恋を知らない娘
     生まれぬむかしから
     こんな水色や若葉色がすき
     プラタンのやわらかい腕に
     接吻にやってくる

     見えない円舞の輪にあなたの乳房がふれると
     人々は
     ゆっくり立ち止まり はじらって歩く

     小指で約束するのも挨拶
     指をひろげて微笑むのも挨拶
     横顔のウインドウの
     悩みを数えていて
     恋をしはじめた娘
     あなたは五月(さつき)の雨    

   ******************************えぞを・・


   --------------------- 六花 

断捨離Ⅳで 書いた通り 昭和35年1月に 病院で出会った二人。

六花の先輩同僚が俳句をしていて、隣に俳句仲間が入院したと伝えた。
隣の部屋には 忘れ得ぬ人でも書いたが 「因藤荘助氏」が
拷問で受けたお腹が痛み 腹膜炎を起こして入院していた。

六花と仲良しだった。

「彼に近づくんでないよ。不良だから」と因藤さんは言った。
(そうか 不良か・・あのおじさんは)

或る日 「これ頂き物だけど・・ぼくは食べられないので良かったら」と
一個一個モダンな包装のしてある梨をくれた。

皮をむこうとするとグシャッと潰れて・・(あ・腐っていると思った。)
舐めてみると 自分の知っている梨とは違う味・・甘かったが
腐っているものは仕方が無いと捨てた。

彼は 「不良で、腐った梨をくれたおじさん。」 そんな存在だった。

1月末 おじさんは退院して行った。 エレベーターまで送った。

*六花の日記にこう書いてある。

「おじさんは 今日退院して行った。 あんなに痩せていて
この世の荒波をどうやって渡って行くのかな~」と書き 日も待たず忘れた。

後年その梨は  「洋なし」と言って 非常に高価な物だと知った。
しかも 一月まで保存は難しく 一層高価な物と・・
このエピソードは 孫・子も知っていて いまでは笑いぐさだ。

卵や バターが お見舞いになる時代だった。

三時のおやつ・・さつまいもの美味しい季節になったなぁ~
大学いもにも エピソードがある。 それは後日書く。

大学いも

検査値気にしながら・・居る・・「さぁーヒレカツ作ろうかな・・」





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Author:六花
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