ターシャの本

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昨日図書館からお借りした。
ようやく この本に出会えて 納得した自分がいる。

     さようならターシャ

ターシャの言葉は平明で 時に独特のユーモアがあり私の心に融ける。
時々 ターシャならこんな時どうするだろう?とか、どう考えるだろう
とかから、答えを導き出したりする。

ターシャの長男の言葉

ターシャ

*********** *****

今朝から 今まで春~夏の服を取り出し たたみじわにアイロンがけ
冬の衣服は 丁寧にシミなど漂白してしまう。

さて どうしよう に出会って、手が止まる。

27年前のコート

     27年前

着やすくて ブルーグレーのコートなど今時 売っていない。
胸にも両手の入るポケットもファスナーが付いている。

出張で飛び回っていたとき、航空券 電車の切符 もしもの時の
お金など入れて 絶対に取られる、落とす心配も無かった。

これを着て全国を旅した事もある。 コートには思い出が染みついている。
しかし・・袖口が・・特に左手側が傷んでいる。
素手ですることは 全部左利き、道具を使うときは右利き。
衣服が証明するんだな~
去年も見て見ない振りして着ていた。 何か良い方法はないものか

30年前の木綿糸のセーター・・

     30年前

これに合わせて、札幌の町・・裏参道のお店でスカートを買った。
これを着て シュネム喫茶店で「 洋なしのタルト」を食べていた自分を思い出す。
今年の春もこれに袖を通す事が出来ると思うと~ 生きていることがうれしい。 
今年は 100年前の布で作ったスカートを合わせようと思って居る。

考えてみれば 現在の娘と同じ年齢。 二人の子育て真っ最中であった。
いまの娘と同じ。

新しい服が一杯ある中で 何故かこだわる自分を見つめている。
そう~
白いスカートを合わせると とても長い・・背丈が縮んだのだ。
えぞをに相談する。 「5センチほど裾上げしようかなぁ?・・」と

えぞを 「履きやすくて、ヒールの高い靴を 買いなさい」

六花  「。。。 」

えぞを 「ヒールのある靴を 背筋を伸ばして履くんだよ」と重ねて。

六花  「ターシャなら どうするかな・・ 」
 2015_03_31


海へ

Category: 野生動物  

晴天に誘われて・・ お結び持参で厚岸へ。

     あっけし2

海を借景にして 町は一枚の絵

あっけし




ネイパル厚岸にある 樹海観察所。

     樹海観察所

まだ睡りの中・・ 

六花   「エレベーター付いてるよね」
えぞを  「観察するんだから 歩いて上までだと思うよ」

そうなら・・元気印さんだけ見られるのかな?

帰りに 「 いた!」 子別れ終わったんだね。

     子別れ

そう思って見ると「何だか寂しそう・・」

     丹頂2

丹頂

 2015_03_30



こんなに小さな町に起きた詐欺事件 
2月 70代の女性が 契約したことも無いのに、高齢者の分譲住宅の
解約金の支払いを求められて 現金300万円を引き出しました。

不振に思った郵便局が警察署に連絡、警察署は女性に協力を得て
だまされたふりをして やりとりを続け 現金を 取りに来た男を
逮捕しました。・・・今日の新聞に入っていた地域安全ニュースより

********* *****

昨日 ケアマネージャーの 4月の利用プランを立てるための
訪問があった。 えぞをの家庭の様子を色々聞いて 
「私たちは えぞをさんが生きているのは 奇跡だと思って居るんですよ」
と言う。
長寿細胞にスイッチが入ったんではないか・・と言う。
その細胞は誰でも持っているが・・スイッチが入った人だけが
長寿なのだとか。。分かっているのは、肥満の方にはスイッチが
入らないということ。。。キビシイな~~

***********

えぞをは 土曜俳句に行き詰まっている。
六花には 春の鬱状態に見えるが、体調不良を訴えつづけている。
えぞをが元気な気持ちになるまで 六花が代理をする。

今日は こんな古い俳誌が一冊残っていたので。

     ひるがほ

     DSC06759.jpg

この中に出ている方の存命は 少ないと思う。

俳号も「鈴木旋花亭」より受ける。気に入らなかったのだが
考えた末に付けてくれたので変えるわけには行かなかった。

昭和27年4月 伊藤憲一さんの奨めにより
鈴木旋花亭氏の指導を受く。

えぞを 最初に作った俳句。

     春灯下白紙のまゝのノートかな

     梅が香や櫛けづり居る身の廻り

旋花亭がとてもほめてくれた。と記憶に残る。

********** *********

ひるがほ より

鈴木旋花亭

     送る身もみな不治迅き夏惜しむ

     折れ眼鏡鼻上に秋の風と触れ

     荒時雨夜かけてつのれ灯し寝む

伊藤憲一

     片肺に潮の香入れて日焼けをり

     船旅果つ夕立雲に追はれつつ

竹内輝行

     荒磯に舷寄れば蝉しぐれ

     通夜の灯に蔽ひかぶさるや星月夜

米山杜城子

     桃かじる跨線手や旗提げて

     初雁の坂逸りつゝ復学す

杉山さち女

     落ち葉踏む己れのあおと止むおそる

     露地口の雪虫妍を日と競ふ 

百目木 孤葉

     金欲しく姉謀る夜の油虫

     青葉木菟たつきの誤訳訂しつゝ
    (あおばづく)    

えぞを

     夏つばめ人焼く煙の裾に群れ

     こころ洗われアカシアの香の埒を出づ

     水輪より子鯖釣り上げ職無き秋

-----------

みんな青春で 結核療養所の戦友たちである。
現在、生きておられる方は、杜城子とえぞをだけ

師である旋花亭が療養所で縊死して 焼き場までリヤカーを
引いたのは、百目木氏と いま生きている二人だ。

そんな時代が 有ったことを えぞを自ら 孫や子に伝えて欲しいと
思って居る。



 2015_03_28



ちえみちゃん
沢山のおたより読んでいて みつけたものがあります。
ちえみちゃんと出会った あの病院の小児科の婦長さんからの

約束の道・・7でも書きました。

送った本は ふきのとうで同じ本が数冊あったもの たんぽぽ文庫も
協力してくれました。 あの時のちえみちゃんに読んで上げたかった本
など揃えて・・150冊を お手紙添えて送りました。

お礼の返事が来ました。(ようやく探し出したの・・)

 
******略******現在入院しています学童は 15名で、病気やけがで
2ヶ月~6ヶ月、3年、中には小学校1年から 中学校3年まで
入院生活を送り、昨年岩見沢の高校に入学した子も居ります。

「ひかり学園分校は」 昭和40年に登別温泉町立温泉小学校
特殊学級として 1学級認可開設され 翌年中学部認可、

昭和45年には、小学部3学級編成、中学部2学級編成となりました。

昭和51年に、登別市登別温泉小学校、中学校「ひかり学園分校」に
昇格されて、病気や怪我で入院している児童を
治療と併行して教育が受けられるようになっています。

ひかり学園は、図書もだいたい整っていて、読書週間には
感想文を書いたり、生徒も積極的に取り組んでいるようすですが

病棟ではそれらの設備も乏しく、
札幌の方から、「ふきのとう文庫」の事をお聞きしたことがあり、
お願いしたらどうかと スタッフの方と話し合っていました。

そうしている内に 学園の方に沢山の本が届き
病棟で保管してはどうかと相談があり、何か思いが伝わったように 驚きました。
喜んで病棟のプレイルームに置かせて頂きました。*****略*****

                    小児病棟婦長  石川 寛子

ちえみちゃん あなたと出会ったのは 昭和35~36年でしたね。
あなたの入院生活には間に合わなかったでしょう 
でも 確かなことは、第二のちえみちゃんや 私が其処にはいる
ということですね。 ちえみちゃんに再開出来たらいいなぁ・・・

********** ******

これを書きながら 小樽にふきのとう文庫が無くなったことが
とても残念に思えて来る。病気の子がいなくなったわけでは無い。

辛い闘病生活を余儀なくされている親子がたくさんいるのが現実だ。

****************

      小樽運河

奮闘する

中2の 子どもの嘆きの 編集後記がある。「ゴメン忘れていた。」
学校から帰ったらすぐタクシーに乗って運河へ行ったこと。
工事のおじさんに 「そこダメだよ ダメ 」って流行語になってしまいそう・・
怒られながら 表紙の運河を画いたこと。壊される運河がかわいそうだったこと
寒かったこと(2月16日水)
結局B4用紙 10枚を手書きしてくれた。m(_ _)m d(^_^;)b

文庫はいつも 子どもの手の中に有ったし、あると思う。
 2015_03_27



ちえみちゃん
出会った時、私はお姉さんでしたね。 そして文庫のおばさんになり
いまは おばあさんになり これを書いています。

ふきのとう文庫を夜の時間にすると 良い事だらけだったんですよ!
まず ボランティアの人が 主婦だけで無く 子どもから大人
それに お兄さん おじさんも参加出来ました。
クリスマスや七夕なんかは 夜の方が断然楽しいですよね。

     交通事の子
                    ワンクリックして読んで下さいね

「クリスマス・クリスマスって こっちはクルシミマスだよ」
って言ったちえみちゃんの言葉を忘れずにいました。
この記事にあるように クリスマスは感動しました。って書いてくれました。

お母さんが帰った後、布団を被って泣いていた ちえみちゃん。
小樽病院の中にも  病気で亡くなる子もいました。
次の文庫の日に行ってみると、髪の毛が無くなっている女の子も
いました。無菌室に入っていました。 ガラス越しに手と手を合わせました。
私は泣いてばかりいました。 

或る日 お母さんに「六花さん 泣かないで下さい」って言われて
はっとしました。
泣きたいのはお母さんで、その悲しみのこころや 言葉を
受け止めて上げる役目なんだと・・

1985年のクリスマスは こんな風でした。
同じように毎年 、中身やプレゼントの違いはあっても
季節毎のお楽しみ会は づーっと続けていったのでした。

**********

 小児科の先生がサンタさんになり、看護婦さん達がローソクを
灯した車を押しながら 病室を訪問 プレゼントが贈られました。
文庫からは若者達のアイデア一杯のクリスマスカードと
手作りの品も。。
つづいて 飾り付けられた会場では 看護婦さんの進行のもと

 看護婦さん挨拶

 中谷洋子さん挨拶

 大型紙芝居「アンパンマンとかぜコンコン」を
潮陵高校演劇部のメンバーと 中谷実孝くんが熱演

 手づくり紙芝居「子うさぎましろのおはなし」を
商業高校生のみなさんが 演じてくれました。

 オルガン演奏 入院中の小学生たちが
「猫ふんじゃった」と「美しい世界」を弾きました。とても上手でしたね。

 マジック 平間おじさんが中谷実孝君を助手に
紐と、紙と 風船のマジックをしてくれました。

 人形劇・・「いねむりサンタ」・・看護学生人形劇グループの
みなさん。 歌も入り  楽しかったですね。

  最後に「大きな栗の木の下で」と
「きよしこの夜」を全員で大きな声で歌いました。

     別の年のクリスマス

     ふきのとう

     少年・少女の ボランティア参加

     少年ボランティア
              ワンクリックして読んで下さいね。

ちえみちゃん いつかきっとと思ってさよならした 登別厚生年金整形外科は
新しい建物になって いまもあります。

つい先頃 小樽市立病院が オープンしました。でも小樽にふきのとう文庫は
もう再開しないでしょう。
小児科は 常勤医が一人と少ないスタッフ。 重い病気・長期の入院児は
他病院へ行ってもらう事になりました。

ちえみちゃん 長いこと書いてきましたが、あしたで終わりにしますね。 



 2015_03_27



さようなら小樽

1974年 3月  えぞをと六花は、失意の内に小樽を後にした。

春は遠く 厳しい季節だった。 すでに思い出になろうとしている
二つの文庫の数々の出来事が 私たちの家族の行く手を照らし続けてくれた。
大丈夫 行き先は間違えない 根拠の無い自信があった。


たんぽぽの灯は美浪翠さんと 宮口久子さんが 代々のお母さん達が  
引き継ぎ 現在に至る。

小樽ふきのとうは 中谷洋子さん 実孝くん 友美ちゃんと
お父さんが しっかりと受け継いでくれた。
友美ちゃんは 大学から札幌に就職 一児をもうけたことまで分かっている。

実孝君は 大学を出て 念願の高校・英語教師になり
数年前には 羅臼高校に赴任していた。結婚し子どももいる。
いまは どの地におられるのか・・・

私が去ったあと、中谷さんはご友人と共に 2006年3月小樽病院の閉鎖まで
実に32年間ものあいだ 「小樽ふきのとう」を支え続けて下さった。
豪雪、厳しい暑さ 嵐の日の夜 彼女は何を秘めて 
辛い子のいる病院へ 通ったのだろう・・一度お会いして聞いて見たい。
生きている内に・・。

**********************

季節毎の行事
ひなまつり こどもの日 七夕 クリスマスなどの行事が
とても楽しそうに、いきいきと文庫のお便りに書かれている。

小樽ふきのとう・・NO37・・1987年3月10日 より~
 ひなまつり  
文庫では 二月中におひな様作りを始めました。
折り染めに始まり 千雅子さんに型紙を切ってもらい
それぞれのユニークなおひなさまを作り上げました。

3月2日には幼い入院児たちに一日も早く全快しますようにと
石川さん考案のきれいなおひな様が贈られました。

小樽ふきのとう NO31・・1986年 5月5日 より~
こどもの日  
文庫は5日のこの日のために、若い人たちが先週から折り続けていた
兜と、べこ餅を贈り物に、幼い入院児とともに子どもの日を祝う
楽しい夜を持ちました。

早速に兜を被り、大喜びの子、つぶらな瞳を輝かせ、熱心に紙芝居を
楽しみ、紅葉のような手で拍手をし抱きついてくる子

反対に、ベッド訪問で病室へ入ったとたんに、人見知りで泣き出してしまい
若い世話人を戸惑わせてしまう子など 多種多様な親子の愛情に触れながら
若者たちと共に広い視野で物事を見る 心を育てていきたいものと
考えるこの頃です。               

文庫たよりから
潮陵高校生 商業高校生がボランティアに参加していることが分かります。

小樽ふきのとう NO33・・1986年8月8日発行 より~

七夕まつり
みんなが楽しみに待っていた七夕祭りを詰め所のみなさんと
点滴を受けながらのお友達も集まって、賑やかに行われました。
     司会は看護婦さん
     カメラマンは 中谷実孝君です。

 最初に看護婦さんが持ってきてくれたメトロノームで
リズムを取り中谷友美さんの書いた歌詞を見ながら
大きな声で 七夕さまを歌いました。

次は 看護婦さんの手作りの紙芝居「七夕さま」を
入院児の松岡さんと、とのおか先生の子どもさんと二人で
熱演してくれました。

池本文代さんと中谷友美さん二人で大風呂敷を持って
図書館から借りてきてくれた「優しい鬼と少年のお話し」の
大型紙芝居を 史江さん 五十嵐さん 池本さんそれに中谷姉弟で
頑張りました。

池本さんの手品  練習の成果充分
あっと驚くほどの出来映えでしたね。

次は文庫のお姉さん達が作ってくれた金銀のかんむりを
頭に載せ 詰め所で用意してくれた 、あかりを灯した提灯を持って
七夕様を歌いながら病棟を一周しました。

次はプレイルームの横のバルコニーでみんなそれぞれに
花火大会を楽しみましたね。
大きな花火は、先生が手伝って下さいました。
夜空に輝く束の間の花火すてきでしたね。

 最後はいよいよみんなが待っていたスイカを頂きました。
何せ「今夜だけは特別に食べてもよろしい」と許可をいただき
朝から楽しみに待っていたのですものね。
史江お姉さんと、中谷おばさんが汗だくで準備した西瓜
皆さんが喜んで食べて下さって とても嬉しかったです。

 その後 どうしても参加出来なかったお友だちにも
星の冠と、西瓜を届けて今年の七夕を終えました。

少し疲れてきました。つづきは 元気になってから書きます。

 2015_03_26



二つの文庫の交差は 色々な形で表れた。

たんぽぽ文庫の子どもたちは 明確な目的を持って 今度は東アフリカの難民の
子どもを救おうとしていた。

ふきのとう文庫では その事について話し合いが行われていた。
工作の時間 夜の文庫の時間に手作りを始めた。

1981年子ども市

啓介兄ちゃんは 北大生から参加
いまでは真駒内養護学校の先生だ。月日がたち
もうそろそろ退職かしら?

並樹君は 潮陵高校2年生・・小学生から行事には手品で参加。
私たちは彼を「ペテン師」と呼んでいた。彼は小学校の教師で
新人教師を教育する仕事をしている。

1981子ども市-1

当日 夜半から朝に掛けて雨だった。いかなることがあっても
行事は中止しないが 子どもとの約束。 子どもは必ず晴れると
疑わなかった。 雨の中、テントが張られた。 
(雨の時は、町内会館を確保していた。)
奇跡としか思えない 始まり近く太陽が突然出たのだ 

ふきのとう文庫は 当時小学校のボランティアが二名来ていた。
一人の子は 将来お医者さんになりたいと。
いま何処の病院にいるのかな?
その子らと 学級の先生、石塚美和ちゃん 付き添いのお母さんと
お店を開いた。

全部で14店舗あったが、実はふきのとう文庫の売り上げが1番だ
32、576円  トータルで246、649円の純利益が有り
東京のユニセフに 会計の浅川さんと 美浪君とが郵便で送ると
文庫便りに載っている。 全ては子どもの手で執り行われた。

そして特記すべきは・・ 広場を片付けて家路に
ついたその時 突然のように大雨が降って来たのだ 

その時 ふいに涙が 堰を切った様に流れた。
奇跡ってあるのだな・・と実感した。自分の体の周りが温かいもので
覆われていると感じて 呆然としていた。

文庫の記念行事に たんぽぽ文庫の人たちが ジュウタンや
机など 歩いて運んでくれた。 2キロ近くある。

狭い空間を椅子にしたら幾人も入れない。
お座りして40人の人が参加していた。

行事は 文庫の誕生日と、七夕と クリスマスが行われた。

その様子は次回へ

詩

佐久間さんは 名古屋で福祉大学を出られて 
北海道へ福祉の仕事がしたいと やって来た。 
なかなか就職できず 文庫へ熱心に参加する若者の一人だ。
いまはどうしているのだろう?

 2015_03_25



ふきのとう文庫日誌より・・・ 1973年 11月 27日
 
ふきのとう文庫の第一日目だ。 先日 雨の中小林さんが
「これで良いでしょうか?」と、中川宅へ運んで見えた35冊の本を
ザックに詰めた。

**************

*当時 若者が旅行時 横幅の広いザックを背負っていた。
それを 蟹さんとか蟹族とか、世間では言っていた。

**************

蟹族のザックに本を詰めて背負い 折からの氷雨で傘をさし、丘を下った。
丘から見える海は霞がかって さらに遠くに見えていた。

この中にある本が、大きなふくらみとなって、子らの心を温め得るでしょうか?
「おおきいおおきいおいも」の読み聞かせをしました。

色々な方が 日誌へ寄せ書きをしていた。
捜したが、見つからない。大学ノート2冊までの記憶があるのだが。

小林さんと 教育長や 市長に会った。
教育の機会を 長期入院中の子どもに与えて欲しい。
退院したときに 元の学級へ戻れ、同じように進級できる保証が
欲しいと思っていた。

私自身 小学校一年の時、はしかと肺炎が重なり三学期全く登校できず
中学校一年の二学期は 肺結核のため休校した。

病院での教育の機会は ちえみちゃんや自分の思いと重なり
熱心に語ったと思う。
「六花さんは 政治家向きだね」と小林さんがからかったのが印象に残る。

翌年の新学期より
病院の隣にある 量德小学校の分級として スタートする。

野戸先生が着任される。 狭いプレイルームの教室で
文庫は居場所がない状況になるが 徐々に野戸先生が授業の合間に
本の貸し出しをして下さり、 長い入院生活を余儀なくされていた子の
お母さんがお手伝いをしてくれた。
小林さんは間もなく ご主人の転勤とともに札幌へ行かれた。

何かの行事の時にだけ参加して 私はたんぽぽ文庫に専念した。

************

文庫を 夜にしたのは
「小樽ふきのとう NO1 」によると 1980年 4月からだ。

NO1.jpg

筋ジストロフィーで筆圧の低い 成田正憲さんの文章

*********

皆様 こんにちは。毎度おなじみの色メガネの あんちゃんです。
これから時々 顔をだしますので あんまりイジメないでください。
よろしく!

 彼は 札幌から参加してくれた。

************


夜の文庫は 子どもたちにとっては待ち望んでいたことだった。
ベッドで、涙を浮かべて待っている小さな子もいた。

ボランティアの巾も広がった。
勤務先から 若い人たちが 学生が 参加した。
小樽からだけではなく、札幌からも参加、筋ジスの青年も札幌からだ。

思いがけない充実した時間を 参加した大人も持てたようだった。

1980年 7月20日発行

NO2より
  
入院中の子どもたちも 
たんぽぽ文庫が行う 東南アジアの難民の子どもたちを助けようと 
学級の五人と先生が お小遣いを出し合った。

外泊して 次の日の子ども市に参加した子もいた。

NO2-2.jpg


二つの文庫が交差することが 子ども同士が助け合い
思いを一つにすることが これから先 幾度も起こる。



 2015_03_25



小児科のプレイルームを見学した後 いまでも鮮やかに思い出す事がある。

「名前を何にしよう?」小林さんも考えていて 六花も思いつく名を
言ってみるが どう考えても良い名にならない。

小林金三氏が 「ふきのとう」はどうか・・って言うんだけどね・・と彼女。
私「あ~良い名前、それにしましょうよ」強力に押した。

そう話したのは 市立小樽病院の出口から歩道への途中だった。
大切なことを 殆ど忘れかけているのに ライトに照らされたように
その場面だけが 切り取られて六花のキャパの中にある。

名付け親は いまは亡い 小林静江さんの夫だ。

     文庫開設5周年記念に 病棟からプレゼントして頂いた

     ふきのとう

   坂本直行氏の色紙・・北海道の菓子メーカー`六花亭`の包装紙で有名
                    (ろっかてい)・・私の名は rikka(りっか)

1973年 11月25日 第一回の小樽ふきのとう文庫が開かれた。
たんぽぽ文庫は 同年8月27日だったので 3ヶ月後のことである。
(密かにたんぽぽの種を飛ばしたと思っていた)

正直に書こう
六花は 小林さんの文庫として開催され、継続される。
私は たんぽぽ文庫で精一杯だと考えていた。
ときどきは手助けはするつもりではいたのだが・・

もう間もなくスタートすると言う日になって 「やめようかと思う」と言ったのだ。
青天の霹靂とはこのことかと思った わたしは必死で説得した。
そして重荷を背負ったのだ。

後に、ふきのとう文庫の原点は 小樽の院内文庫であると 書きつづけ
札幌に転出してからも 著名人を案内 はてはTVカメラまで入るようになって、
そのたびに呼び出されて

はじめて、怒りにも似た気持ちで 「寸前にやめると言ったのは何故か」を問うた。

「何だか、私のしたい事とは違うーーと思ったので・・」

本当にいまでもそう思っているなら・・無理強いした私は 彼女に謝らなければ
ならない。

 その時の小林静江さんは その後の道のりの想定は出来ていなかった
と考えている。すでに 夫の転勤を見越し その時どうするかの
私の覚悟を問いたかったのかも知れない。

彼女はその後 みごとに軌道修正をし、自分のしたいと考えている
ふきのとう文庫を 札幌で実現していった。

いくつもの疑問は残るが 小樽ふきのとう文庫は私の責任になっていった。
すでに 「約束の道」で 書いたとおり、それさえ大変な事だったのに・・

小林さんは 沈黙を守る私へ 「六花さん ふきのとう文庫のこと 書かないの?」と
問うたことが有る  「そうですね・・わたし小林さんより12若いですから
そのうちに・・」 

今まで書かなかったことを 家族にだけは語っておきたいと。
これを、いま書いている。現在 ふきのとう文庫は建物も、理事も代わり
彼女の意志を受け継いで 運営されている。
今年90歳になる 小林静江さんは 何処でどうしておれるのだろう。

     道東の今日は・・ハラハラと雪の花びらが舞い 鍋焼きうどんの季節です。
     
     鍋焼きうどん




 2015_03_24



約束の道・・2 に書いた通り 子どもの本に対し造詣の深い方だと
期待に胸膨らませ、小林さんにアポイントメントを取り ご自宅へ伺った。

同席者もいて 終始 何故か探るような眼差しで・・警戒している様子が
垣間見られた。 岩波で本の編集をしている、ご主人が北海道新聞の
論説委員であることが分かっただけで さしたる収穫も無いまま辞した。

一人で 自分の考えで 誰も頼らず 「たんぽぽ文庫」をして行こう。
体力の無い私はそれだけで ぐったりして帰宅した。

ほどなく、別人の様になって 小林さんが突然現れた。
社宅には電話も無く 連絡のしようも無かったと思われる。
その時も 存じ上げない方と一緒であった。

小林さんは 今までの回顧記事に幾度も書かれているように 
妹さんのことを話されて、自分も文庫がしたい。 
六花さんの文庫は 「幸せな子ばかりが、通って来てるでしょう」と言われる。

「妹のように学校へも行けず一生ベッドの生活だった、そんな子に本を届けたいと
熱心に話されていた。」 最初の印象とはまるで違い、親近感が持てた。 

私も、私の原点 ちえみちゃんの事を話し、自身も 長い闘病生活の中で
本の無い生活は 寂しかったと伝える。
「小樽病院小児科へ文庫を作ったらどうでしょうか?」と 提案した。
彼女は考え込んで帰った。

     ふきのとう文庫だより

     ふきのとう文庫たより

小林さんは 小樽病院へ行ったが断られる。
教会病院や主立った病院を訪問したが 全部断られたと伝えて来た。

たんぽぽ文庫は公宅街で、市立病院の公宅も 私の家から
30メートルほどの所にあった。
いわば ご近所さんだ。そこから子どもたちも 文庫へやって来ていた。
勿論、小児科医長 今井先生の家もあった

谷口先生(内科医)のお子さんのお母さんへ、断られた経緯を話す。

谷口先生は「どうしてそんな良いことを断ったのかな~」といぶかしげで 
後日、どうして断ったかを 小児科医長 今井先生に訊ねてくださった。

「、全くそのことは知らない、早速六花さんに会いましょう」と言われた。

後日 小林さんと二人で訪問、
あっけない早さで 小児科プレイルームで 週一回の文庫が
開催されるようになった。

道を開くきっかけを作ってくれたのは 谷口ご夫妻様だと書いて置きたい。
そして 今井小児科医長であったことを書いて置きたい。

しかも 何の困難も無く 温かく迎えられたことも書いて置きたい。

その時、世間知らずの私は 物事には幾つもの扉があり、
一方がふさがっていても、もう一方は鍵さえかかっていず
ノックさえすれば 開かれるのだと知った。 

のちに難問にぶつかる度に どの扉から入るのが 目的に近いかを
熟慮する習慣が付いた。

     こわされる前の小樽運河

     まむ絵

この頃 小樽運河の取り壊しが始まっていた。 娘は毎日曜日に運河へ行き
同じ場所で スケッチをしていた。・・・今は無い旧運河の佇まい・・
記念号の 表紙に残して置こうと旧運河にした。 何時行っても
巨大なクレーンがうなりを上げて、運河をこわしていた。
 2015_03_23




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SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
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22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

Author:六花
一人でも 楽しく生きて行こう。
心の中にパートナーが
いるのだから・・

いらっしゃいませ

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