2016年6月20日    100ヶ日   卒哭忌


三月に逝ったえぞをさん。 
私たちは毎年三月に 「ホトケノミミ」を採りにこの海「熊碓」くまうすへ来た。 
嵐の後流れ着いた昆布を拾ったりもしたね。
夏には 子どもはこの海で水泳デビューした。そう言えば六花もだったね。

並樹は足をすくめて 砂場に降りようとしなかった。「バッチー」と言って。
4月生まれのすみれは 生まれて100日ほどしか経っていないのに
この場所に日陰をパパが上手に作ってくれて寝かされた。
波の音が子守唄・・
バッチーのお兄ちゃんを上手に騙して 海へ入れたのはママでした。
向かい合って抱きしめ 一つの浮き輪に入ってね。 

48年前のこの場所が残っていたとは
熊碓6

熊碓2

海は整備されていなかった岩浜・・ナマコやウニも捕れて
小さな魚や 小さな巻き貝なんて取り放題・・二人の子は
この日本海が育ててくれた。
おたるが坂の街だと分かる写真・・多分お会いしたこと無いけれど
この一画に ブロ友 hiroさんはお住まいなのだろう。

熊碓4

この浜でも ピンクの石と貝殻を拾った・・

熊碓3

えぞをさん  父を亡くし
遠い昔 失意の内に父祖の地より流れ着いた小樽。
あなたを迎えてくれた海もこの場所・・泳ぎを覚えたのもね。熊碓1

父に代われるものは無かった人生・・
でもせめてもの贈り物・・熊碓の海



卒哭忌が区切りになるのかどうか 今はわかりません。
でも残された一人の時間・・「頑張ったね」と迎えられるまで
切に生きて行きたいと思います。 




えぞをさん これで見納めです。 8月に父祖の地に還りましょうね。

海とえぞを

ずーっと この旅をお読み下さっているブロ友さんへ 
旅は終わりました。
えぞをと六花から 心より謝意を申し上げます。
九州が大変な事になっていますね。 どうか被害が少ないことを
切に願っております。

 2016_06_29





2016年6月20日  100ヶ日    卒哭忌  

この日を選んで 此処まで来た。
えぞをさんが 悲しみにくれる人を置いては去りがたく辛かろうと

六花が肝に銘じる日が来た。まだ逝ってたった100日なのに・・。

人の死に 泣くことを卒業できる人は誰もいない。 
でも仏の世界でのけじめだろう。

変わらない海・・積丹町 美国 (びくに)
すみれ 「パパ此処で捕れる魚はどれもみんなおいしいよね~」
美国1

イカ釣り船が 漁を終えてひと休み

イカ釣船1

貝と きれいな石を拾って帰ろう・・よもぎ餅みたいな色をした石が多い。
この浜で 連泊のキャンプを何度もした。 名前の通り美しい海と
波の音に抱かれて 4人は生涯忘れない思いを刻んだね。

真夜中 強風にテントが飛ばされ大騒ぎ!の若者たち。
びくともしなかったパパのテントは 熟知した結びめでしっかりと 
大地にくくりつけられ・・そのたびにパパは 子どもの憧れとなった。


空には流星群が。。。
文字通り降りかかってくるような星に いくらでも願う事が出来たね。


美国2


二人で特別の食事をした。すみれおすすめの店 11時開店を待って。

うに・いくら丼
いくら丼

アワビ丼
アワビ丼

塩から・・絶品 
塩辛お品書き


さようなら 美国  日本海


美国3


卒哭忌 午後からの旅は 明日へつづく
 2016_06_28





2016年6月19日


今日は余市まで行こうと 南へ向かう。 その前に 第三埠頭へ。

花火がはじけ ぽんぽん蒸気船の機関長だった祖父の顔が浮かぶ。
この埠頭で がやを釣った。 小鯖も・・
二人の子に浮き輪を付けさせて 海からの航路で祝津海岸へ向かった。 幾度も・・

懐かしいね・・六花はお骨に囁く・・
第三埠頭

祝津海岸  此処で泳ぐ。
祝津1


祝津海岸・・いまは幻のように建つ 「鰊御殿」 その前から撮影
祝津(しゅくつ)海岸  此処でも釣りをしたね。
祝津海岸

桃内(ももない)・・忍路(おしょろ)・・と過ぎ 蘭島(らんしま)へ。 
温かければ6月から泳ぐ小樽っ子
此処で 子どもたちと六花の三人は 泳ぎを覚える。

この海で すみれも六花も おぼれたことがある。覚え初めは危険 
蘭島1

蘭島2

並樹はこの海で 「海洋少年団」の少年として厳しい訓練を受け
すみれは毎年この海で しごかれながら 指導員の免許を取った。

多くの物を 父母を離れて・・学んで行った子どもたち・・
その間 相も変わらず・・ひ弱な両親であったことを認めるしか無い。

健康な子ども、 私たちは何て幸せな子育てをしたことだろう・・

町の方に聞いて  美味しいよの場所で 二人の夕ご飯
ツブ、ホタテ丼いくら丼
つぶ・ホタテ丼 つぶは動いているよ  いくら丼 

明日は 積丹(しゃこたん)へ・・つづく
 2016_06_27




2016年6月19日

二人の子どもが産まれた所・育ったところを歩く

えぞを 「子どもたちが育った所へ帰ってみたいな・・」
亡くなる一週間前に言っていた。

たんぽぽ文庫が地域文庫となった時 教会を貸して下さった 滝沢先生はすでに
お亡くなりになって・・礼拝の日だったので 懐かしいみなさんと再会する。


社が丘の社宅の敷地へ植えた 豊後梅2本 小樽を去るとき
教会へ移植をして下さった。 樹齢48年くらいかな? 青い実が成っていた。

たんぽぽ文庫  記念樹

二人の子が卒業した 現存する小学校・・当時のままだと言う。
パパを胸に抱き 校歌をを3番まで 静かに歌うすみれ 

二人ともこの校庭でサッカー少年団の練習をしていた。紅白リレーでも兄妹して走ったね。
長距離ランナーだったパパの遺伝子は引き継がれていた。
 
奥沢小学校2  奥沢小学校1

小学校から 教育大へ行くまで住んで居た 社が丘の社宅はすでに無く
見知らぬ方の表札が・・

社が丘2  社が丘1


旅には関係ない話しだけれど 息子は オホーツク100㎞ (馬鹿けマラソン)
走っている最中です。  ブロ友さんも息子さんが走り 家族が会場で応援しています!


息子の通園した「オリブ幼稚園」   息子とえぞをの通った「潮陵高校」
オリブ幼稚園  朝陵高校


東雲町の社宅へ引っ越しの最中に産気づき入院 待望の女児誕生。
3700グラム 「叶うことなら会社につれて出勤したい」とパパのたもうた。
東雲町 

水天宮神社が近く 散歩に良く行った。

水天宮1  水天宮2

魂の旅はここを訪れるためだったと言っても過言では無い。
えぞをは退社時刻に 電話のベルを2度鳴らし切る。
六花「ぱぱかえってくるよ~」時間を見計らって出す。

それから二人は手を繋ぎ 徒歩7分ほどの所へ行き階段の上で座って待つ。
花園大通りを右折 もう子どもの視野に入っている
「ぱぱだ~」 厳しく止められているので急階段は降りない。
かなりの斜度の所を早足で歩いてくるパパ。
不安が無かったから・・良い時代だったのだろう。

水天宮5



水天宮3水天宮4

息子の生まれた社宅は探せなかったし 二人の通った中学校は
すでに無い。 その頃 小樽の学習院と言われて住所を移して
越境入学してくるような中学校だった。
生徒の半分が 朝陵高校へ入るそんな中学校だった。

跡形も無く消えた 「ふきのとう文庫」 思い出すさえ難しい運河
変わらないもの 変わってしまったもの 時は流れたのだ・・
もうこの街へは来ない・・・これで充分見るべき物は見た。

  あすへ つづく・・
 さて 「ばかケ」マラソンでも見ようかな  ゼッケン番号が分かるので
コース上の何処にいて 時速何キロで通過したのかが分かる。
パソコンのおかげね。

 




 2016_06_26




1987年の手帳より

枯れ枯れの 山にぽかんと 電柱たつ


三月の ひかり澪るるを 掌にて受く


心病む 六月の天 刻こぼる



・‥…━━━☆・‥…━━━☆えぞを・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2016年 6月19日

朝里川ダム・・小樽市の貯水場  パーキングはいま盛りのハマナスの匂いに満ちて。
「パパ良い匂いでしょ?」

朝里川ダムハマナス

家族がスキーの楽しみを覚えた当時は ホワイトバレーという素敵な名前だった。
天狗山は 果敢にも全市を挙げて行うスキー競技にチャレンジ
すみれは三位を取る。  二人の子どもが検定試験を受け
お兄ちゃんは一級を 妹は二級を取る。

朝里川温泉スキー場        天狗山スキー場            
朝里川温泉スキー場1天狗山スキー場1

六花は 高所恐怖症からリフトに乗れず スキーを断念しようとした。
えぞを 「三人がスキーを楽しむ時 六花はいつも一人になるよ」
励まされ ついに上級者コースを滑り降りるまで育ててくれた。
いまは ゴンドラが季節を問わず動き 小樽を一望できる。


麓には 「ザ・グラススタジオ」があり 浅原千代治氏の作品や
スタッフたちの作品が並ぶ。 店内からはスタッフが作業しているところが見え
制作風景が見られる。      「源氏物語」千代治氏作品より
ザ・グラススタジオ1何にしようかな~


記念に娘とお揃いのグラスを求める。壜は 「よいち」と書いてあり
葡萄ジュース。 余市はマッサンで(朝ドラ)有名?

ザ・ラグススタジオ3

小樽運河が有名だが・・この運河は私たちが去った後 観光を意図して作られ
昔の運河の面影が無い。 北一ガラスも仕入れて販売している商店
(工房があると聞いた。) ちなみに50数年前 実用ランプとして製造された
今の北一ガラスの前身で作られたランプを持っている。いまは骨董品かも知れない。

レトロ?  何が?  古い物を壊し 或いは利用し 再び見知らぬ街を
作ったに過ぎない。 故郷は遠くに有りて思うもの・・になりかねないので
行かない。

あすへ つづく・・
 2016_06_25





プロフィールにこう書いている。

癒えることの無い悲しみの中から 起ちあがるすべを・・
拾いに行きます。


 お骨が此処にある内に 生前行ってみたかった所へ
えぞをのお骨とともに旅をすると決めていた。

この旅は 娘の申し出が無くては叶わぬものだったし
娘の職場のみな様の協力無しではなしえなかった。

加えて いま中学三年生と 高校二年生の孫の協力無しでは
出来得なかったことだった。 
あーちゃんは 二人の優しさを 決して忘れないからね。


2016年 6月 17日 

曇り空の中 9時出発 途中六花の実家~墓参を済ませ 
札幌へ入ったのは すっかり暮れた小雨の中だった。
清田ほのかの湯 泊  
この先 六花は次々と新しい経験を 驚きの経験をする。
時代は変わった・・と実感する。

6月18日

北大は二人の話題に上ることの多い場所
此処はこころの休まるところだった。
秀岳荘へ登山道具を エルムへ本を求めた後で
ツツジの季節 新緑の季節 木の葉散る季節
こころを遊ばせるのには もってこいの所だった。

北大3

北大2

文学部
文学部 (2)

空き席はあるけれど 二人はいつも若者たちの間に席を取ったね。
北大4

食堂は 食材に細やかな配慮がなされている。とても美味しい。
安い。 豊富なメニュー 欠点が見つからない。

北大5北大6

遠くで親御さんが 子どもを案じている・・
そう言う配慮がしっかりと受け止められていると
いつ行っても感じられた。


・‥…━━━☆・‥…━━━☆丸井今井百貨店へ・‥…━━━☆・‥…━━━☆

ターシャの庭が再現されている。会期のあいだ生花の維持が大変だろう。
ターシャ展ターシャ展2
 すみれが作品展限定本をプレゼントしてくれた。
押さえに使った石は 熊碓海岸で拾って来た。

ターシャ展4ターシャ展3
夜は すみれ・・友人のコンサートへ ワンマンショーなので花束を
買い求め 友人と出かける。その友人の衣装やメークに驚く
 六花 手稲ほのかの湯・・泊  

あしたへ つづく・・・
 2016_06_24




明日金曜日は 早朝に出発なので・・土曜俳句は繰り上げて書く。

玉芙蓉1

玉芙蓉と言う名のボタンが咲いた。 おし花に間に合ってうれしい。
帰って来たら もう散っているでしょう


土曜俳句続けられるか?逡巡する毎日だったが
旅立ちに当たり 調べ物をしていたら この手帳が出て来て 俳句が載っていた。

1987年手帳

書き散らしも有り まだ推敲中もあるが 10句ほど書いて有る
1987年  昭和62年の手帳なので  えぞを 57才

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


鼠浄土 少しさざめき 寒の闇       ー1月12日ー


本音にて 生くる女に 紅木蓮       ー1月31日ー


寒灯の ささやき終着 駅ならむ     -1月31日ー


ひとの死の いと美しく 帰り花         -2月3日ー

‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆えぞを・‥…━━━☆

つづきは来週6月25日へ載せよう。

鼠浄土というのは何か?  いつも辞典とにらめっこ 
それからそれへと 言葉は輪廻し 作者の意図は単純では無いと
気が付く・・俳句はどんどん六花から 遠ざかる。

今日は コメントの御返事が出来ません。 
コメント閉じさせていただきます。 m(_ _)m

 2016_06_16





不思議なこと・・毎年紫に咲いていたルピナスがピンクに咲いた

ルピナス
どうしたのか 分からない。 アジサイの色変わりは聞いた事あるけれど・・

えぞをさん   最後のあなたの満額の年金を受け取りました。
有り難うございます。
これで 最後なんだと・・心がきゅっと縮むような感覚です


青空です。 涙は似合いません。

卒哭忌までに あなたのものを片づけなければ・・と思いつつ
はかどらず・・持ち越ししてしまいそうです。


引き出しから 寂聴さんから頂いた手ぬぐいが・・出て来ました。
汚れていたので お洗濯したら・・破れてしまいました。
寂聴さん

一緒に訪ねた寂庵を思い出すねー京都の旅も。
寂聴さんお元気の様子 時々TVで拝見します。



 2016_06_15




携帯にCメールが入る
「最終通告です。有料動画観覧歴が有り料金が滞納されています。
至急連絡無き場合 法的処置に移ります」 こう書いてあり
その後ろに東京の電話番号が記載されていた。

とても不愉快だ。六花のガラケは 知らない方からのEメールが勝手に入り
真夜中まで広告的なメールが入るようになって EZwebを利用しないように
セットした。E-メールも 動画も見られない。

もちろん無視したけれど・・これに一人でも反応する方がおられればと
心配になる。

うつむいて咲く可憐な花と見えて 地下茎の生命力たるや
驚くばかり・・これもバラスをかき分け 道に咲いて居る。

チゴユリ
チゴユリ

12日 厚岸漁協の 開店記念・16年祭・・毛ガニの汁が振る舞われた。
えぞをさんの好きな蟹を買ったよ。

あなたは、この海が好きだった。 最後に訪れたのは亡くなる二週間前だった。
孫たちは風邪で すみれちゃんと三人・・しばらく海を見て
あなたは 「来て良かった」って・・言ったよね。

厚岸2


厚岸1

おみやげに毛ガニを買って・・剝きながら・・その役目は
いつもあなただったー 
供えたあとで五目ご飯にして・・みんなで食べたよ。




 2016_06_14





えぞをは同郷の人と言うことも有ってか 賢治が好きだった。
賢治にまつわる思い出を持ち 
彼自身が賢治と重なる部分を持っていた。

このノートは1990年代に 「海見えて」という家族新聞
手書きの新聞に掲載するために書いた題字で 文章がつづく。

賢治

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

亡くなる一ヶ月前か・・ノートの字は判別しがたく ようやく二句見つける

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

えぞを俳句・・・2016年2月


冬の月 戦いは 西に遠からず


遙かなる 潮鳴り胸に 眠りけり

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


えぞを短歌


えぞを短歌 1993年6月


秋天の青きに枯るゝ一杉樹 頂を極めて死後も寄辺なし


掌に受けて互みに領つ春夕焼 愛とし老いとし仄温きかな


秒針の毀るゝばかりに凍る海 沖に日暮らす幽鬼は見えず


麦秋の丘を駆け継ぎ磯へ出ずる 風のごとくに少年は在りしよ


・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

えぞをさん 津軽海峡を渡ってしまえば 海はもっと遠くなり

遙かなる 潮鳴り胸に 眠りけり   えぞを


すみれちゃんともう一度小樽の海を見に行こうね

 2016_06_11




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プロフィール

Author:六花
一人でも 楽しく生きて行こう。
心の中にパートナーが
いるのだから・・

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