パパのお守りを胸に受験した娘が夕べ遅く帰宅した。
辛く見積もって7割り出来たとの報告を受けたが 
誰も先はわからない。

留守中のピョンのこと。SL湿原号が運行しダイヤの変更があった。
駅に来たら電車はもう出た後だと 携帯の向こうで泣いている。

恰度釧路へ行くところだった息子夫婦に拾われて安堵した。

そのつづき・・
着いてみたら 上履きを忘れていると気が付く。
買おうと考え 近くにあるアベニューへの道を
通りがかりのおばあちゃんに聞いた。
親切な老婦人は アベニューは閉店してしまったこと。
直ぐ近くの自宅へ連れて行ってくれ もう履かないからと
スリッパを一足下さった。

「私に声を掛けてくれて ありがとう」と言ったという。

その優しさに マムと私は涙した。 
合格したらお礼に伺うと告げて 職場へ向かった。

ピョンは二日間の模擬試験を乗り切るために緊張していたのだろう。
その日は帰らず 独りでスーパーホテルへ泊まって翌日に供える。
初体験 でも良い経験したね。 ピョンちゃん。

ラジオのダウンロードが出来ず こんな事考えた。
キッチンへ置いて YouTubeで音楽を聞きながら嫌いな台所仕事をする。
左横はお正月のセリの根から葉が・・これで二度食べた。
ただ水を入れているだけ。

DSC02080.jpg

今日の焼けたパンは 何と十字架が入っている
膨れすぎて蓋まで届いたらしい。

十字パン

十字架を気にしながら ゆずジャムつけてお昼ご飯に食べた。
 
 2017_01_31




昭和14年8月30日 えぞをはその時代 黒沢尻と呼ばれ
いまは北上市という市民病院にいた。 父が病床にあった。

えぞをの父はそれまで昏睡状態に有ったにもかかわらず
ふと目を開け 公園でブランコに乗っている二人の子を
「心配なので連れてくるように」と言った。まるで透視していたかのように。

まもなくえぞをの父は二人の子を見て安堵し、目を落とした。
三十六才だった。

それから戦争があり 火事に遭い えぞをの結核闘病があり
ついに墓参のなされぬまま えぞをの母は逝った。
つれづれに聞いていた義母の話を元に 菩提寺を、お墓を捜し見つけた。

納骨を終え えぞをの案内で北上市市民病院をおとずれた。
まだ木造そのままの建物で 道を挟んで公園もそのままあった。
昭和53年8月 義母の新盆であった。 垣根にはムクゲが咲き
えぞをの記憶にもその時ムクゲが咲いていたと言う。
 市役所へ観光マップをもらいに行くと
レリーフがおかれ 以下の市民憲章を読んだ。
一瞬にして、無条件でこの町が好きになった。 


北上市市民憲章

 あの高嶺  鬼すむ誇り

 その瀬音  久遠の賛歌

 この大地  燃えたついのち

 ここは 北上


昨日も書いた夏油温泉も 初めておとずれた。
切り立つ崖は 助手席側に有り 所々に落石もある。
車同士がすれ違う場所もない有様だったが やっと到着した。
夏油温泉は えぞをの思い出そのままに有った。
破調して鳴くミンミンゼミの合唱を初めて聴く。

昨日の更新は 自分のブログでは初めて多数の方におとずれて
いただき 不思議な気さえする。
夏油温泉を検索した
今年は必ず行こうと決心する。 どこかの湯の中でお会いするかもしれない
きのうの写真にしわとシミを加えてほしい。60歳はいま79歳で有る。
しかしミンミンゼミの破調は変わらず 樹に宿る精霊も変わらない。

車に自信の無い方は、北上駅東口にお迎えの車が待っている。

^
^^^^^^写真ね 無いと寂しいから サーフェイスでまだテスト^^^^^
シェルカメオ厚さも大きさもある。



シェルカメオ

 2017_01_29




岩手県湯田村  卯根倉銅山

~夢の片らすら見いだせない廃墟、かって存在した事実を示す
唯一の痕跡である。 道がここまで伸びてもう手が届きそうな距離である
それなのに一層遠くなった卯根倉であり 少年の日である。~1997年9月

卯根倉鉱山

玉川温泉

恐山




*******1953年 (昭和28年) 5月作品*********


花傷み ここに増毛の 青嶺見ゆ
*増毛・・地名・ましけ

君死後も 軒うち止まず 花の雨


草笛の つひに独りの童かな


********6月作品


裸婦見ての 窓外炎夏 音絶ちぬ


世の炎夏 踏み来し畫廊 こゝ澄めり


夏痩せて 西日畫廊に 堪え得ずや


夏の月 ぐらす・ぎやまんの 陰もてり


癒え装ふ 虹の輪くぐり 来し母に


乳房觸れ 濤は熱砂に 聴くべかり


*********朱色ノートより  えぞを23才********



えぞを青春の俳句 
草笛の・・は 岩手県の山奥から小樽へ出て来て 言葉のなまりをからかわれ
孤独な少年時代を過ごした。 後年彼の声もプラスされきれいな発音は
私の友人たちを魅了することになった。 

父親が長く病んでいるとき 家族揃って湯治をした 「夏油温泉」
山々を越えて 鉱夫たちが えぞをの妹や食料品を背負い
一日がかりで 運んだ。裕福だったからこそ出来た事だったろう。

「夏油温泉」 げとうおんせん1997年9月

結婚してから 幾度となく訪れた 私たち家族の思い出の温泉。

夏油温泉1

夏油温泉2
夏油温泉湯治場

今年の秋、私は此処で湯治をしたいと思っている。
えぞをの両親も、えぞをも 様々な魑魅魍魎を引き連れて
やってくるだろう。 祖先の魂が私を待っているような気がしてならない。


 
 2017_01_28




今日は・どんなに私が釧路を愛しているかを書く場で
デジカメで撮った写真を 初めてサーフェイス・プロ4に
取り込み ブログの更新が出来るかをテストする日。

三ヶ月に一回投薬を受けるために市立病院へ行く。
些細なことに傷つくが、私の風体が老人で 即それが
がんぜない老人に時間をとられては困ると言う
態度になったのだと思う。
私の発した言葉は「湿布は残りがあるので、今日はいりません」
と言う言葉だけ伝えたかった。 「はいはいわかりましたよ。」
入り口に入っただけの場所で「看護婦か事務員」に出されるように辞した。

気を取り直そう。

北海道釧路市のウォーターフロント、名橋・幣舞橋のたもとに建つ複合商業・観光施設「釧路フィッシャーマンズワーフMOO(ムー) 」。観光に、お土産に、お食事に・・・楽しい、うまい、ベイエリア!

moo.jpg

町をマイナス17度で出たが ここでは-5~6度くらいか・暖かい。
中は植物園で ツバキとサザンカが 人工音声だろうが小鳥がさえずっている。

mooの椿

mooのサザンカ

おなかがすいている (めずらしいなー)「なめた」を食べよー

屋台村1屋台村2
mooの二階・・屋台村

おなか拵えが出来たところで mooの外・

釧路川へもうすぐ太平洋へ

釧路川2

ハス氷
釧路川3

釧路川4船員も昼食かな

あら 初めて見たわ 阿寒バス。

阿寒バス

こんなの見つけるとドキドキするよ。 このバスに描かれている絵は
何でしょう 
更新は成功かな? うまくいっていれば 明日からでも旅に・・
 2017_01_27




昨日は サーフェイスでブログを書こうとして 失敗
写真を取り込み縮小することが出来ない。
何やっているんだろう・・などど思っている内に
エネルギーが切れてしまう。 ソファーにひっくり返って2時間眠る。

さて仕切り直し 
今日の朝ご飯 タブレットで写しこれを食べる。 サー頑張ろう~ 
 あ・書いておこう。
このお団子みたいなのは・「べこ餅」 普通は 緑の部分は黒砂糖
この緑は よもぎ。(初食べ) お団子の裏には笹の葉が。
笹の葉の匂いと よもぎの味がして うまい!

WIN_20170125_09_16_21_Pro.jpg


どう出るかわからないけれど これも載せてみよう。

::::::::::左ストーンカメオ シェルカメオ右;;;;;;;;;;;;

シェルカメオ2シェルカメオ1

カメオがあこがれになったのは・「風とともに去りぬ」で
スカーレットのドレスの胸元を飾っていた 大きなカメオだった。


カメオ職人の製作を見たのは 日本橋高島屋だった。
大きな手に しかし実に器用に細工をしていく 驚嘆し
その彫りの深い職人の顔にも見とれた 

ちゃんと書けたかな? 更新してからPC開いてみることにする。
 2017_01_25




1月23日の朝  いやー降ったね~

降ったね~

高校入試の書類を提出するとき 戸籍謄本を見た。
私は父の戸籍に入り 庶子となっていた。昭和15年生まれの弟も。

父の説明

母は ○○家の戸籍筆頭者  兄弟姉妹が早死にし、父も早世した。
大変な財をなして居たそうだが それ故に○○家を継ぐと言う足枷が有った。

一方父は、兄である長男が 近衛兵として村の誉れと言われ出征した。
やがて 粟粒結核と成り除隊 妻娘に感染 次々亡くなって行った。
 
次男だった父は 家督を継ぐという立場に追いやられた。

旧民法は 家督を継ぐ物同士の結婚が認められていなかった。
あるいはそれを乗り越えるための親類の承認と手続きが必要だった。

八方ふさがりの内に 私が生まれ 弟が生まれ 第三子を身籠もっていた。
父が頭を下げ周り 自分の子の誰かに 母の姓を名乗らせると誓約書を書き
ようやく第三子を (昭和18年)次女として届け出ることが出来た。

国家が個人を蹂躙した例である。

○○家は 樺太から追われ一切の資産はなくなり 
戸籍筆頭者としての母の名前が残っていただけである。

父の話す言葉を受けて 
(殆どそれがどうしたのかな・・自分は自分である事に変わりない)
と考え、それを忘れた。

私の 結婚の届け出の時発行された戸籍謄本は
すでに 新民法になっていたはずなのに相変わらず「庶子」であった。

再び今度は何やら真剣にえぞをに説明している父・・
要約すれば 自分たちは結婚届を出す事が出来なかったために 
娘の出生届は「庶子」となっているが
わたしたち両親の子どもである。と言う事だったろう。

えぞをもえぞをの母も理解し 結婚届を出してくれたのは義母である。

つづきがある・・ やがて だれに 母の姓を名乗らせるかと親戚に迫られて
皮肉にも 実子として届けられた次女が候補に挙がった。

次女は後年「私は親に捨てられた」と そのトラウマに苦しんだ。
彼女が思っていたことは 容姿が劣り 頭も兄姉に遠く及ばず
それで 両親に選ばれて 親戚の元へ行くように言われたのだと。
今もそう思っている。
次女の強い拒否にあい 結局母の姓を名乗る人は居なくなり 民主国家へと
変貌される中で 忘れられた。

しかし私も 弟も忘れず・・妹に到っては 両親に捨てられそうになった事を
恨んで大きくなった。

国家が個人を蹂躙することがあってはならないと 昭和の時代は教えてくれたはず
私たちは 守るべきものを間違えてはいけないと思う。

2015年弟の死亡で 戸籍謄本が必要となり謄本を取った。
私も 弟も 庶子の記載が消えていた。  不思議だったが
何だかすこし晴れた様な気持になった。 
伝えたい弟はその時もういなかった。


 2017_01_24


昭和の時代

Category: 日記  


心にとまった 友のブログ二つ
一つは 昭和の時代に買ったシャープの電卓。
いまだに立派につとめを果たしている。
昭和の時代を支えた技術力 昨年台湾企業に吸収合併された。

実は私も同じ様な電卓を持っている。勤務しながら店頭で使い
いまはトドック・・生協の共同購入注文で使い無くてはならない。

もう一つは
マッチの話し。 3月国内唯一のマッチ製造工場が撤退する。
あの懐かしいラベルの貼られたマッチ・・。
マッチもまた生活の必需品で 思い出の一つや二つは必ず有る。
電卓もマッチも 便利になったいまの生活から目にとまらなくなり
お二人の惜しむ声が届く。

2009年えぞをが在宅酸素患者になった時 我が家からマッチが消えた。
火気厳禁だったから。

仏具を安全なものに買い換える必要に迫られて 
ネットや仏具店で調べると
今までの大きな物では無く 小さな仏壇に小さな仏具が
おしゃれと言う言葉で表現したいようなものが たくさん見つかる。

仏具

此処では葬儀屋からいただいた一式の中に入っていたマッチ。

線香はネットで 香りの良い物と検索
多くの方々がこれを薦めていたので 一番短いもので・¥400
送料・¥0アマゾンで。

ロウソクは3センチほどで ロウソクの火も線香も
5分ほどで消える。 この位なら忘れんぼの六花でも失敗しない。

そして セリアで見つけたお洒落なチャッカマン?
御灯明と立派な書体で書かれている。蓮の花まで。

私がこだわってウロウロしている春まだ浅い日々・ 
あの頃えぞをはまだこの世の何処かから そんな六花を見ていただろう。


 2017_01_22




幌加内町・六花の生まれ故郷は-26度だったという。やはり大寒だ。


━━━☆1953年(昭和28年) 4月作品 えぞを23才・‥…━━━☆


丘の上は 無人の境 花林檎


啄木忌 黙し(もだし)暮れゆく 顔いくつ


二十路の 生死茫たり 花ぐもり


肋切る日を 待つ母子 鳥歸る


花の下 乳を吸ひ嬰児 華やぐも


おぼろ夜の 馬と顔あふ なつかしや


朝寝して かの鴉奴に 呼ばれ居し

五月作品

童駆け 暮れいろ幾重 麥の秋

花散るや 晝月あそぶ 顯誠塔

初蝶は 淋しかりけり 町の裏


・‥…━━━☆・‥…朱色ノートより━━━☆・‥…━━━☆



DSC02027.jpg

DSC02025.jpg


 黙し・を もだと呼ぶと習った句だ。 俳句には独自の約束事が有り
いまだに難解だと思って居る。

 肋切る日・当時の結核患者の切なる願いだった。肺葉切除のために
えぞをは 肋骨を3本切った。そこから肺を取り出し患部を切除
ストマイで洗浄した。 術後の痛みにモルヒネを使ったと話していた。

 短冊 真ん中の句・・<かくとおちる>と読むのでしょうか?  

                              六花

 2017_01_21




子ども達が 年賀欠礼の葉書を出し それで知った方々が
思いを寄せて下さった。  

こころばかりのお返しを 何にしようかしらと・・迷い。これを選んだ 

奈良県宇陀市 森野吉野葛本舗

旅の途中で出会った美味しいものの一つ。

「葛の館」 何を食べても美味しくて 忘れられず 以来くず粉に
関するものは こちらから送っていただく。

DSC02022.jpg

今日は大寒・・ どこかしらお悪くなっている体を温めていただきたい。
そう願って 郵便局へ急ぐ。

今冬一番の寒さと郵便局の皆さんも話しておられた。
多分-25度はあったろうと。本州の皆さんには想像も付かないだろう。

陽があたり 時折空中でキラキラ光るものは ダイアモンドダスト?

氷に雪が張り付いたのか まるで桜がさいているよう。

氷の花3
 
松も 寒いけれど祝い花のよう。

氷の花1

お寄せ下さったみな様へ 今日はえぞをと六花から この曲のプレゼントを。
感謝を込めて


 2017_01_20




流衣君 あなたが受験で頑張っているように
あーちゃんもチャレンジして 新しいことを獲得しようとしています。

メールの時は 並樹パパが頑張って調べてくれたけれど
字が大きくならず そういう機械だということになりましたが
ブログは大きな字で書くことが可能です。
それね見つけたのはあーちゃんです。

諦めないことって大事ですね。

写真も縮小方法 ようやく理解できました。
外へ出かけてとるほどの元気ありません。出窓を写します。
寒いね。 まっすぐに粉雪が降っています。

じゃこのままにして パソを開き 見て来ます。

写真はターシャです。 [大きくなったら僕ターシャのように暮らしたい。]

[ありゃー流衣君に伝染しちゃったかな?]

WIN_20170119_11_28_56_Pro.jpg

パソコンには書きかけが届いていない 保存をしなければ
ダメなようです。  写真ももう少し大きくても良いようですね。
 2017_01_19




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プロフィール

Author:六花
一人でも 楽しく生きて行こう。
心の中にパートナーが
いるのだから・・

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