1月23日の朝  いやー降ったね~

降ったね~

高校入試の書類を提出するとき 戸籍謄本を見た。
私は父の戸籍に入り 庶子となっていた。昭和15年生まれの弟も。

父の説明

母は ○○家の戸籍筆頭者  兄弟姉妹が早死にし、父も早世した。
大変な財をなして居たそうだが それ故に○○家を継ぐと言う足枷が有った。

一方父は、兄である長男が 近衛兵として村の誉れと言われ出征した。
やがて 粟粒結核と成り除隊 妻娘に感染 次々亡くなって行った。
 
次男だった父は 家督を継ぐという立場に追いやられた。

旧民法は 家督を継ぐ物同士の結婚が認められていなかった。
あるいはそれを乗り越えるための親類の承認と手続きが必要だった。

八方ふさがりの内に 私が生まれ 弟が生まれ 第三子を身籠もっていた。
父が頭を下げ周り 自分の子の誰かに 母の姓を名乗らせると誓約書を書き
ようやく第三子を (昭和18年)次女として届け出ることが出来た。

国家が個人を蹂躙した例である。

○○家は 樺太から追われ一切の資産はなくなり 
戸籍筆頭者としての母の名前が残っていただけである。

父の話す言葉を受けて 
(殆どそれがどうしたのかな・・自分は自分である事に変わりない)
と考え、それを忘れた。

私の 結婚の届け出の時発行された戸籍謄本は
すでに 新民法になっていたはずなのに相変わらず「庶子」であった。

再び今度は何やら真剣にえぞをに説明している父・・
要約すれば 自分たちは結婚届を出す事が出来なかったために 
娘の出生届は「庶子」となっているが
わたしたち両親の子どもである。と言う事だったろう。

えぞをもえぞをの母も理解し 結婚届を出してくれたのは義母である。

つづきがある・・ やがて だれに 母の姓を名乗らせるかと親戚に迫られて
皮肉にも 実子として届けられた次女が候補に挙がった。

次女は後年「私は親に捨てられた」と そのトラウマに苦しんだ。
彼女が思っていたことは 容姿が劣り 頭も兄姉に遠く及ばず
それで 両親に選ばれて 親戚の元へ行くように言われたのだと。
今もそう思っている。
次女の強い拒否にあい 結局母の姓を名乗る人は居なくなり 民主国家へと
変貌される中で 忘れられた。

しかし私も 弟も忘れず・・妹に到っては 両親に捨てられそうになった事を
恨んで大きくなった。

国家が個人を蹂躙することがあってはならないと 昭和の時代は教えてくれたはず
私たちは 守るべきものを間違えてはいけないと思う。

2015年弟の死亡で 戸籍謄本が必要となり謄本を取った。
私も 弟も 庶子の記載が消えていた。  不思議だったが
何だかすこし晴れた様な気持になった。 
伝えたい弟はその時もういなかった。


 2017_01_24




12  « 2017_01 »  02

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

Author:六花
一人でも 楽しく生きて行こう。
心の中にパートナーが
いるのだから・・

いらっしゃいませ

検索フォーム

QRコード

QR




.