ブロ友さん三人の記事の中に この本が登場する。
それではと アマゾンで中古本購入 半額ほどのお値段だった。
どう見ても新品で、きれいに読まれたのかと感心する。

DSC02143.jpg

そこへ 息子からメールが入り 「やはりインフルエンザAだった消毒してね」
さあ大変 共通の場 お玄関を隅々まで消毒液で拭く。

湿度が20%  お洗濯いっぱいして 部屋の中に綱を張りぶら下げる。
加湿器を強にする。
全部の窓を開け放ち 室温29度から 26度へ下げる。

緑茶パックを煮出し うがい薬を作る。 気のせいか左の喉奥に
違和感を感じて、体温計る。 36度5分・・ダイジョウブ

中々湿度が上がらない・・あ・そうだこうなったらこれしか無いと
霧吹きで 部屋中を吹き周り カーテンも濡らす。 ようやく40%。

次にコートリルを飲み、アスコルビン酸を飲む。
それから・・水分だよと娘がメールを・・そうだと 
買い置きのオーエスワンの蓋を開ける。 この手は苦手だな~

それから 朝食がバナナ一本だったことを思い出し
いっぱい食べた。 ジュースも飲み、紅茶も・・これでどうだバイキンマン

もう何かする手は無いかと考えた。 あった~

仏壇へ向かって 「えぞをさん 守ってね」と言った
ロウソクの灯が 微かに揺れ・動いた。

N子さんがいま帰って来た。 彼女もインフルか
 2017_02_20




DSC02135.jpg
文化祭のために書いた短冊。


==========1955年(昭和30年)===25才・作品=====


癒えつつあり 風花消えし 空浄く


遺書を焚く 一瞬冬闇 燃え迫る


寒夜焚きし 遺書のぬくさを 掌にとどむ


指撓めて(たわめて)無菌期の榾 細き折る
榾・ほたと読み 季語は冬


寒夕焼け 満身に鴉 寮舎過ぐ


編む項(うなじ)へ 氷柱に撥ねし 夕日さす


春待ちて 嫁ぐ一身 医師に告げず

最後の二句は 妹へ



======朱色ノートより====== 六花・高校二年生========


上記の俳句により えぞをはこの次期 ようやく排菌が培養からも検出されず
肺葉切除への一筋の道が見え 書き置いてあった遺書の始末をしたのだろう。
この時代、肺葉切除は結核に終止符を打つ唯一の道だった。

偲べば 辛い青春時代だったのだと 今更ながら・・
今日はこれにつづく言葉が見つからないので これで。


DSC02132.jpg
町内の文化祭のために書いた短冊

 2017_02_18




あなたならどうする? 至急帰って来て下さい。
何て情け無いのだろう・・ 

えぞをが逝ってしまって一番困った出来事、机の引き出しが開かない。
先日以来ガタビシしていたが ついに動かない。
木槌を持って来て叩いてみた。 木槌の頭がポンと外れて飛んだ

びくともしないので バリ?って言うのか あの道具でこじ開けようとしたら
引き出しの底がばりばり言っただけで 動かない 

開かない机

机を蹴飛ばしてみた だって昔ポンコツTVが写らなくなった時
蹴飛ばしたら写ったことあったしね。
でも 足痛くて 怪我したみたい 情け無くて

えぞをさん 何とか都合付けて還ってきて下さい。

押し花教室 生徒さん頑張りましたねぇ~バラ・カクテル。

カクテル

マドモアゼル 太子 作り手・台紙の素材によってこんな風に。

マドモアゼル2 マドモアゼル1

外は一日中雨だった。 明日は間違い無く町中がスケートリンク。
蹴飛ばした足痛いし・・どうしてくれるのえぞをさん。

いいの・・いいの・・ソファーで丸まってTV見てるから 


 2017_02_17




えぞをさん 今どこに居ますか?この手紙は届きますか?
11ヶ月が過ぎ しかし六花にとっては空白の日々でした


ピョンが今日は受験校の下見で マムと一緒に今夜はホテル泊まりです。
明日の試験 どうか守って下さい。 あなたの時計を腕にはめて行きました。
何せ考えられないような天候に変化しJRは直ぐ止まります。

流衣くんも希望校に行くために毎日二食分のお弁当を持って登校しています。

ようやくハードルの高かった 道の駅の常設展示を引き上げて来ました。
支配人は会議のために不在で あなたに花束が・・

支配人より

予定では次にハードルの高い 「やすらぎ園」へ常設展示の取り替えに
行く決心をしました。 みっともない顔になりたくないと思うと この月日が
必要だったのですね。 去年の今頃ショートスティを利用していた・・

自分の病院へなんか行かなければ良かったと強い後悔があります。

misia  逢いたくていま












 2017_02_13




釧路湿原に夕陽落ち

DSC02115.jpg


---------1954年(昭和29年) 3月・4月作品----えぞを24才

三月作品

行く雁や 画布に未完の 裸婦構図


鳥雲に 隣室ささめき ささめき居る


縋らんに 街夕空の 巨氷柱


ふつふつと 胸鳴り春の 陽に瞑す


熱の眼が さまよふ春の 夕焼け中


鈴振りて 癒えゆくこころ 夕ざくら


芹摘みの 語らひに寝ぬ 病家族


千斤の 重き足うら 草萌ゆる


四月作品 

五月来ぬ 探り汗ばむ 衣囊の銭


つばくろの 覗きうなずき 吾が晝餉


人影なき 厨の裏や 花林檎


----------朱色ノートより----------



海に春が来た 厚岸漁協

DSC02117.jpg

DSC02118.jpg

鰊が来ると炭火をおこして焼いてくれたでしょう。
ボクは覚えているよ。美味しかった。
ご飯食べなくてイイヨって言ってくれたから
大好きな鰊を 何本も食べたよ。

小樽っ子の息子に 鰊を買った。
聞いたら 一本でお腹いっぱいになったよし
息子も年をとったんだな~  






 2017_02_11




滂沱の涙で目が覚めた。 夢なのに起きてみたら涙が実際に流れていた。
夢とは・・なんぞや?と考えた。 フロイトに聞いて見たい。
しかし自分の深層心理には重い蓋が乗ったままだ。

さあ元気出しておし花に行こう!
二つの袋はなにがしかの景品。 ポットにお茶を摘めて
色合ってるじゃやん~左のポーチにはにぎりめし。一個は野沢菜 一個は海苔。
もう15年 お結び2個だけ持って 押し花教室へ。

何故そうしたか? 誰もが簡単に持って来られて寝坊したときは
コンビニおにぎりOK  それぞれの制作時間に合わせて
個々に食べる。 誰かの分を気にしないでいられる。
だからお結び以外は何も持って来ないが原則。 みんなそれが有り難いという。

ここは教室。学びの場。 たくさん覚えて帰ってね。

 WIN_20170210_10_42_15_Pro.jpg

サーフェース持って行った。 WIFIにつなげたいと話すも
公民館には無いと言う。 ? ? 職員の前には一台づつパソがある。
 じゃ何してるのか? とんと分からない。ネットは出来ないんだとか。
みんなとおし花教材を ネット注文しようと張り切っていた。
朝の涙がここへつづくのかぁ~~



 2017_02_10




全部書くのは大変なので 河合先生なら許して下さると考えて載せた。
タイトルは 「自伝」を作る
河合隼雄の本

ブログを始めて5年間 ブロ友さんに共感して頂けて本当に嬉しかった。
上記の文章を見ながらこれに当たるな・・と解釈して
これからは 自分史みたいな事も書き始めたいと思って居る。

サーフェースと格闘しているのを流衣が見ていて
「あーちゃん ボクの高校ではあーちゃんは有名人なんだよ」と言う

ネットでお買い物したり Facebookをしたり(只今お休み中)
ブログを書く それでみんな「え~すごい」って言うことになっているらしい。

しかし間違い無くこれからは そう言う老人がどんどん増えて行くだろう。
いまの私は 同年代の方を見つけるのがとても大変!
友人たちは 携帯もFAXも理解できず難しいと言う。
パソコンは若い人がちょっと手助けしてくれると
画面も大きいし 覚えてしまえば例え訪問看護になってしまっても
扱える。 指一本でポツポツ打てば良い。親を励まし根気よく教えてあげて欲しい。
そこは外へ繫がる一筋の道になるのだから。

両親からもっと多くのことを聞いておくべきだったと後悔している。
父ならきっとブログを書いていたろう。多くの知識を持っていた。

で・・また呆れられそうだけれど・・六花の朝食これ

三色白玉1
三色白玉2
ピンクは ハイビスカス・ グリーンは粉茶・ 白は絹ごし豆腐でこねた。

 2017_02_08


ブログ誕生日

Category: 日記  


「花あかり日記」を始めたのは2012年だった。 初歩的なことでつまずき
困りながらも 中断せずに続けられたのは 見守る人がいたから。

2015年 1月16日 花あかり日記から 「六花の里」へ変更した。
それからは えぞをの病が少しづつ重くなり・・
途中で幾度もフェイドアウトしそうに成りながらつづけて来られたのは
見守る人が居たから・・

これから6年目のブログをどうしようと・・考えている。

温かいのでお買い物へ。 ツブのお刺身・鯛焼き・バナナを買った。
空を見ると コウコウと美しくない聲がする。  カメラを向けるも・・
少しでもプライドがあるなら 決して載せない画像 
でも5年間書き続けてきたご褒美に・・タンチョウがお祝いに~そう思った。

タンチョウ

釧路川は氷結せず 川底を見せて澄み 「あ・カモが

カワアイサ
DSC02095.jpg
カワアイサと ホオジロカモかしら?何でも生き物に出会えるのは嬉しい。

スーパーの前で 同年齢のご婦人に出会う。
彼女は 旅行用のソフトキャリーを引いてお買い物に来たのだ。
きっと 連れを亡くされたのだろうと勝手に自分と重ねる。
そうだ今回の旅の用意で先日届いた 六花のキャリーバック
それを使うと もう少し多めにお買い物が出来るなぁ~

ソフトキャリー

明日から6年目の一歩を自分を信じて歩いて行こう。
 2017_02_05




教育制度の変革に 最も影響を受けて育った世代。
昭和18年 
えぞを 国民学校高等科一年の写真・・足元を 

国民学校高等科一年生



゜。°。°。°。1954年 (昭和29年)°。2月作品°。°。°。゜。°。°。


有珠山の噴火は昭和19年から 昭和20年に起こり
その後昭和新山を訪ね 詠んだものと思う。
どのような状況でなのか定かではなく、今となっては聞くすべもない。

有珠の尾の 町は傾斜れて 冬灯す


雪山に 吾等叫べり 天地あり


火の山の 噴煙吹雪 ともに飛ぶ


雪荒ぶ 牛飼隻語を 以て笑ふ


喚聲舉げ 雪さかしまに 倒れゆけり

昭和新山

蓬々と 火の山白き 息熄めず


死の硫気 のがるヽものヽ 枯れてなし


人語むなし 吹雪く火口を 見て歸る


坂の町 濁流し来る 夜番かも


平磯岬 風ごうごうと 松さえ枯れ


昂泣くに 赤兒と飛雪 相呼べり


゜。°。°。°。°えぞを 24才。°朱色ノートより。°。°。゜。°。



 昭和22年 国民学校から 小学校に改革される。
同時に義務教育が6.3制に改められる。   
一学級に57名の生徒。四年梅組とあるから 
松・竹・梅組 一学年160数名の子がいたことになる。

そんな中で 切磋琢磨してえぞをも六花も生き延びて来たのだ。

小学校4年生

国民学校3年生の時 今流に言うと「登校拒否」をし
此処に写っている 女教師に救われる。
前列右端 孝子ちゃんと家も近く仲良し。足元を 




 2017_02_04




グリーフケアの必要性を 「こんな所があったらいいな」と思う事で
検索して見たらあったのだ。

グリーフGrief とグリーフケアGrief care. 喪失と立ち直りの思いとの間で
揺れる時.
死別を経験しますと、しらずしらずに亡くなった人を思い慕う気持ちを中心に
湧き起こる感情・情緒に心が占有されそうな自分に気づきます
~グリーフケア協会の文中より

昨夕落ち込む母を見て 娘が「グリーフケアって必要だよね」 
と嘆息しました。
思いがけず娘の口から出て来た言葉に 
「必要な人がイッパイ居るよね」と言いました。

自助ではどうしようも無い状態に陥っている。

えぞをへのお花を買う私を見て 「もう一ヶ月と少しで一年が来るんだね」
「早いなぁ-」と。 「この時期から 辛さが始まったよね~」と私。

仏花淋しくて

悲しむ自分への否定があり 後悔があり、ふがいなさに二重に苦しむ自分。

「ママの場合はね ブログがグリーフケアになってくれたよ」

猫のカーテン止め  朝食

この頃の朝食は葛湯 。今朝は思いついて納骨の時買って来た
角館の「さくらの塩漬け」を散らす。ほんのり櫻の香りがして
途端に一緒に見た桜の数々の風景が思い出され 逃れられない。

パソケース1パソケース

サーフェイスのケースを買った。こう言うのは入れて見なければ
容量など分からず ピョンの塾と一緒に連れて行ってもらう。

お腹がすくと血糖値が下がる事を知っている ピョンが
塩昆布入りのおにぎりを一個渡してくれる。まだほんわかと温かい。

塾が終わるまで 温泉に入って温まる。
露天から空を見上げると 昏い中からわき出てくるように
細雪が降り 涙の上で消える。

読む事だってあまり愉快では無い話しを書いている。
しばらくそんなことを更新していくことになりそう・・

それで コメントを閉じることにした。
 m(_ _)m 何時も読んでいただき感謝しています。 ありがとうございます。





 2017_02_02




01  « 2017_02 »  03

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -

プロフィール

Author:六花
一人でも 楽しく生きて行こう。
心の中にパートナーが
いるのだから・・

いらっしゃいませ

検索フォーム

QRコード

QR




.