滂沱の涙で目が覚めた。 夢なのに起きてみたら涙が実際に流れていた。
夢とは・・なんぞや?と考えた。 フロイトに聞いて見たい。
しかし自分の深層心理には重い蓋が乗ったままだ。

さあ元気出しておし花に行こう!
二つの袋はなにがしかの景品。 ポットにお茶を摘めて
色合ってるじゃやん~左のポーチにはにぎりめし。一個は野沢菜 一個は海苔。
もう15年 お結び2個だけ持って 押し花教室へ。

何故そうしたか? 誰もが簡単に持って来られて寝坊したときは
コンビニおにぎりOK  それぞれの制作時間に合わせて
個々に食べる。 誰かの分を気にしないでいられる。
だからお結び以外は何も持って来ないが原則。 みんなそれが有り難いという。

ここは教室。学びの場。 たくさん覚えて帰ってね。

 WIN_20170210_10_42_15_Pro.jpg

サーフェース持って行った。 WIFIにつなげたいと話すも
公民館には無いと言う。 ? ? 職員の前には一台づつパソがある。
 じゃ何してるのか? とんと分からない。ネットは出来ないんだとか。
みんなとおし花教材を ネット注文しようと張り切っていた。
朝の涙がここへつづくのかぁ~~



 2017_02_10




全部書くのは大変なので 河合先生なら許して下さると考えて載せた。
タイトルは 「自伝」を作る
河合隼雄の本

ブログを始めて5年間 ブロ友さんに共感して頂けて本当に嬉しかった。
上記の文章を見ながらこれに当たるな・・と解釈して
これからは 自分史みたいな事も書き始めたいと思って居る。

サーフェースと格闘しているのを流衣が見ていて
「あーちゃん ボクの高校ではあーちゃんは有名人なんだよ」と言う

ネットでお買い物したり Facebookをしたり(只今お休み中)
ブログを書く それでみんな「え~すごい」って言うことになっているらしい。

しかし間違い無くこれからは そう言う老人がどんどん増えて行くだろう。
いまの私は 同年代の方を見つけるのがとても大変!
友人たちは 携帯もFAXも理解できず難しいと言う。
パソコンは若い人がちょっと手助けしてくれると
画面も大きいし 覚えてしまえば例え訪問看護になってしまっても
扱える。 指一本でポツポツ打てば良い。親を励まし根気よく教えてあげて欲しい。
そこは外へ繫がる一筋の道になるのだから。

両親からもっと多くのことを聞いておくべきだったと後悔している。
父ならきっとブログを書いていたろう。多くの知識を持っていた。

で・・また呆れられそうだけれど・・六花の朝食これ

三色白玉1
三色白玉2
ピンクは ハイビスカス・ グリーンは粉茶・ 白は絹ごし豆腐でこねた。

 2017_02_08


ブログ誕生日

Category: 日記  


「花あかり日記」を始めたのは2012年だった。 初歩的なことでつまずき
困りながらも 中断せずに続けられたのは 見守る人がいたから。

2015年 1月16日 花あかり日記から 「六花の里」へ変更した。
それからは えぞをの病が少しづつ重くなり・・
途中で幾度もフェイドアウトしそうに成りながらつづけて来られたのは
見守る人が居たから・・

これから6年目のブログをどうしようと・・考えている。

温かいのでお買い物へ。 ツブのお刺身・鯛焼き・バナナを買った。
空を見ると コウコウと美しくない聲がする。  カメラを向けるも・・
少しでもプライドがあるなら 決して載せない画像 
でも5年間書き続けてきたご褒美に・・タンチョウがお祝いに~そう思った。

タンチョウ

釧路川は氷結せず 川底を見せて澄み 「あ・カモが

カワアイサ
DSC02095.jpg
カワアイサと ホオジロカモかしら?何でも生き物に出会えるのは嬉しい。

スーパーの前で 同年齢のご婦人に出会う。
彼女は 旅行用のソフトキャリーを引いてお買い物に来たのだ。
きっと 連れを亡くされたのだろうと勝手に自分と重ねる。
そうだ今回の旅の用意で先日届いた 六花のキャリーバック
それを使うと もう少し多めにお買い物が出来るなぁ~

ソフトキャリー

明日から6年目の一歩を自分を信じて歩いて行こう。
 2017_02_05




教育制度の変革に 最も影響を受けて育った世代。
昭和18年 
えぞを 国民学校高等科一年の写真・・足元を 

国民学校高等科一年生



゜。°。°。°。1954年 (昭和29年)°。2月作品°。°。°。゜。°。°。


有珠山の噴火は昭和19年から 昭和20年に起こり
その後昭和新山を訪ね 詠んだものと思う。
どのような状況でなのか定かではなく、今となっては聞くすべもない。

有珠の尾の 町は傾斜れて 冬灯す


雪山に 吾等叫べり 天地あり


火の山の 噴煙吹雪 ともに飛ぶ


雪荒ぶ 牛飼隻語を 以て笑ふ


喚聲舉げ 雪さかしまに 倒れゆけり

昭和新山

蓬々と 火の山白き 息熄めず


死の硫気 のがるヽものヽ 枯れてなし


人語むなし 吹雪く火口を 見て歸る


坂の町 濁流し来る 夜番かも


平磯岬 風ごうごうと 松さえ枯れ


昂泣くに 赤兒と飛雪 相呼べり


゜。°。°。°。°えぞを 24才。°朱色ノートより。°。°。゜。°。



 昭和22年 国民学校から 小学校に改革される。
同時に義務教育が6.3制に改められる。   
一学級に57名の生徒。四年梅組とあるから 
松・竹・梅組 一学年160数名の子がいたことになる。

そんな中で 切磋琢磨してえぞをも六花も生き延びて来たのだ。

小学校4年生

国民学校3年生の時 今流に言うと「登校拒否」をし
此処に写っている 女教師に救われる。
前列右端 孝子ちゃんと家も近く仲良し。足元を 




 2017_02_04




グリーフケアの必要性を 「こんな所があったらいいな」と思う事で
検索して見たらあったのだ。

グリーフGrief とグリーフケアGrief care. 喪失と立ち直りの思いとの間で
揺れる時.
死別を経験しますと、しらずしらずに亡くなった人を思い慕う気持ちを中心に
湧き起こる感情・情緒に心が占有されそうな自分に気づきます
~グリーフケア協会の文中より

昨夕落ち込む母を見て 娘が「グリーフケアって必要だよね」 
と嘆息しました。
思いがけず娘の口から出て来た言葉に 
「必要な人がイッパイ居るよね」と言いました。

自助ではどうしようも無い状態に陥っている。

えぞをへのお花を買う私を見て 「もう一ヶ月と少しで一年が来るんだね」
「早いなぁ-」と。 「この時期から 辛さが始まったよね~」と私。

仏花淋しくて

悲しむ自分への否定があり 後悔があり、ふがいなさに二重に苦しむ自分。

「ママの場合はね ブログがグリーフケアになってくれたよ」

猫のカーテン止め  朝食

この頃の朝食は葛湯 。今朝は思いついて納骨の時買って来た
角館の「さくらの塩漬け」を散らす。ほんのり櫻の香りがして
途端に一緒に見た桜の数々の風景が思い出され 逃れられない。

パソケース1パソケース

サーフェイスのケースを買った。こう言うのは入れて見なければ
容量など分からず ピョンの塾と一緒に連れて行ってもらう。

お腹がすくと血糖値が下がる事を知っている ピョンが
塩昆布入りのおにぎりを一個渡してくれる。まだほんわかと温かい。

塾が終わるまで 温泉に入って温まる。
露天から空を見上げると 昏い中からわき出てくるように
細雪が降り 涙の上で消える。

読む事だってあまり愉快では無い話しを書いている。
しばらくそんなことを更新していくことになりそう・・

それで コメントを閉じることにした。
 m(_ _)m 何時も読んでいただき感謝しています。 ありがとうございます。





 2017_02_02




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プロフィール

Author:六花
一人でも 楽しく生きて行こう。
心の中にパートナーが
いるのだから・・

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